原因

JR福知山線塚口−尼崎脱線事故の話続き。


報道では「スピード超過」「古いATS」「置き石疑惑」について取り上げられることが多いが、バイト帰りにたまたま聞いたNHK第一放送で桜井淳氏が指摘していた次の二点が心に残った。

「スピードは確かに超過していたかもしれないが、脱線するようなスピードではないはず。むしろ、スピードが出ている状態で急ブレーキを踏むことによって*1車輪がロックし、車輪がレールからはずれないようについている”つば”の部分がレールに押しつけられることによって摩擦力が高まり、ついにせり上がってしまう現象が起きた可能性がある。」

記憶に新しい中目黒日比谷線脱線事故(死者5名・けが人60名)の原因を思い出させる。我々は、あの事故以来、全ての、いや、少なくとも自分の乗る電車の区間には脱線防止ガードが設置されているものと無意識に思いこんではいなかったか。今回の線区に最新の*2ATSや脱線防止ガードがついていないことを聞いて、我々は驚かなかったか。

「経済性と定時運行性を追求するため、従来の頑丈な鉄製ボディーを捨て、剛性面で明らかに劣るアルミニウムやステンレスで軽量車両を作り運行させ続けた鉄道会社の責任は重い。」

単に鉄道会社に責任を押しつけてすむ話ではない。もちろん、しかるべき対策を講じなかったのは当の鉄道会社である。しかし、鉄道会社に経済性と定時運行性を要求し続けてきた(そして今も要求し続けている)のは、利用者たる我々ではないか。値上げはしないでほしいが、所要時間はどんどん短縮してほしい、と思っているのは、他ならぬ我々ではないか。


こういう問題の責任はどこかになすりつけてそれでよしとされるべきものでは決して、ない。安全を信じるのも、安くて速いを求めるのも、消費者の自由であるが、自由の裏にはいつも責任がある。安全神話は所詮神話にすぎない。


追いつめる方は気づかないけれど、追いつめられる方はとっくに気づいている。そして、追いつめられた方は申し開きをすることすらできない構造がいつしかこの国にはできあがってしまっているようである*3。こういうのを、思考の硬直化という。思考の硬直化は、さらなる惨事を巻き起こす原因となりかねない。

*1:氏は「あくまでも乗客の証言を元にした仮定の話」と断っている

*2:ではないにしても、制限速度超過に対する自動減速機構付きの

*3:初期の報道で印象に残ったことを一つ:11:15からのJR西日本記者会見において、「自動車と接触して脱線したのか、脱線してから自動車と接触したのか」を執拗に問いつめる記者が多く、中には感極まったのかどうか知らないが「人が死んでるんやで!」と声を荒げる者もいた・・・確かにJR側の対応も合格点には程遠いものだったのだが、あのような問いつめ方は批判でもジャーナリズムでもなく、単なる視聴率ねらいの感情的なつるし上げであり、それこそ許されるべきではない