偶然
このブログでは、その日に起きた歴史的事件・事故の紹介を日ごとの表題にしている。
昨日の表題は、
であった。そして今日、まさかの事故である。この間54年、国鉄はJRに代わり、技術レベルも往時のそれとは比べものにならない。
それでも、事故は起きる。原因はいろいろあるのだろうが、事実として事故が起き、現時点で死者は50名を数えている。もちろん、死者の多寡で事故の規模をはかるわけではないが。
科学技術がいくら進歩しようと、それによって便利な暮らしが我々にもたらされようと、それだけで事故の危険性が皆無になるわけではない。事故発生率は比べものにならない進歩を遂げているだろうが、結果が出た時点で常に確率は1か0に収束する。事故が起きたか、起きなかったかである。
むしろ、科学技術は進歩しすぎてその大部分が我々の大多数にとってはブラックボックスとなっている。飛行機がなぜ飛ぶか、オートマチック車はなぜ変速動作をしなくてもスムーズに走るのか、パソコンでどうして電子メールが送れるのか。
そして、電車はどうして脱線しないのか。
数え上げたらきりがないので、すなわちこの世の中にあふれかえっている全ての科学技術について我々全員が習熟することは不可能である。だとすれば。
せめて、身の回りにあるものについては目を配っておく必要があろう。
それから、今回に限らず全ての事故には、常に「人間」の存在が欠かせない。機械が暴走して人間を支配する構図、などはまだまだこの世には存在しない*1。電車が勝手に脱線したくて脱線したわけではないはずである。
昨今「ヒヤリハット」などという言葉もよく聞く。失敗学、なる学問分野も生まれるご時世である。作為無作為はもちろん別として、人間の側の心構えに不足はなかったか。
普段あまり考えないことだが、我々はいろんな人に命を預けて生きている。「人の命を預かる職業」というのは存外多いのである。
*1:少なくとも日常生活レベルにおいては