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涙のノーヒットノーラン・柴田保光

日本ハムが死闘の末21世紀初の単独首位 (nikkansports.com 北海道)

日本ハム4−3中日>◇11日◇札幌ドーム


日本ハムが、苦しんで苦しんで苦しみ抜いた末に、首位に立った。11日に札幌ドームで行われた中日戦で、延長10回、1死満塁からフェルナンド・セギノール内野手(31)が押し出し四球を選び、4−3でサヨナラ勝ちした。首位に並んでいたソフトバンクと西武がともに敗れたため、30試合消化以上では99年5月8日以来、実に7シーズンぶりのパ・リーグ首位に立った。交流戦最初のカードで3戦連続延長戦、計11時間42分に及ぶ死闘を戦い抜いた先に、長く味わえなかった喜びが待っていた。


うれしすぎる「春の珍事」だ。ポカポカ陽気…。いやポカポカと、みんなにたたかれるセギノールがちょっとした異変の象徴だった。延長10回1死満塁。フルカウントからの7球目、外角に外れた変化球を見逃すと、飛び切りのプレゼントが転がり込んできた。30試合以上消化時点では99年5月8日以来の単独首位。今世紀で初めて、順位表の上にどのチームもいなくなったのだから。ヒルマン監督も「常に1位を目指しているからね」とえびす顔だ。


幸せなドタバタ劇は、いつまでも続く。新庄がお立ち台へ「行けよ」と指をさして指示したが、セギノールは拒否。81年以来、遠ざかっているリーグ優勝。そんなほのぼのシーンが、うれしいような、恥ずかしいような「チームカラー*1」を表していた。お立ち台にはすべて延長の今3連戦にすべて登板した建山、武田久、マイケル。この日でいずれも今季20試合以上登板となった、超フル稼働の中継ぎトリオだ。武田久は「(お立ち台が)地味ですみません」と平謝りしたが、「1度は立ってみたかった」とささやかな喜びをかみ締めた。


ハプニングだらけの3連戦だった。同一カード3試合延長戦は、日本ハム球団初。前身の東映時代を含めても71年6月22〜24日の近鉄戦以来、35年ぶりの「快挙」だ。3試合で延べ14投手を繰り出した。今日12日の横浜戦から川島と入れ替え、中継ぎ要員で鎌倉を昇格させることを決めた。これで7試合連続登板のマイケルは試合後、青白い顔で帰路に。「投げ続けるよ」と1度は言ってみたが、「いつか休みを入れてもらえるかもしれない…」と祈るように、小さな声を振り絞った


試合後には、今日12日の試合前練習を20分遅くする特別措置。人気マスコットB・B*2は全3連戦後に球場で、映像企画物の編集作業を行っていた。「帰るころには、いつも夜がしらじらと明けてきています」(B・B関係者)と、3夜ともほぼ“夜なべ”状況で、クマの目の下に、本当に“クマ”ができそうな状態だ。火の車だった中継ぎ陣を支えた、中山ブルペン捕手は「1日1000球くらい受けた」とほおはげっそり。だが“単独首位”という言葉の響きが、すべてを吹き飛ばしてくれた。


同一カード2度のサヨナラ勝ちは9年ぶりなど…、探せば切りがないほどの「記録ずくめ」の1勝。3試合で計10得点ながら、至福の瞬間を2度も味わえた。初回、先制打の小笠原は「首位? まだ5月だから」と手綱を引き締めながら「なかなか投手を休ませられない」と感謝した。フル回転の秘訣(ひけつ)に「寝ることです」と声をそろえた武田久とマイケル。実りの秋を目指すには、まだぐっすりと眠ることはできなそうだ。【高山通史】


日本ハムファイターズに魅せられて早20年。私はこの20年間、一ファンとして「無償の愛」とは何かを常に教えられてきました。


ファイターズファンは期待しません。無理難題を押しつけません。何があってもそばにいます。


ファイターズファンの辞書に「転向」の二文字はありません*3


親会社不祥事の時にも黙って耐え、球界再編の波にもまれ、生え抜きのスター選手も出身監督もおらず、本拠地は追われ…。


それでも我々ファンは、日本ハムファイターズをいつまでも、いつまでも愛し続けるのです。


たとえ応援した時は負け
放っておくと調子がいい
そんなチームであったとしても

*1:私の中ではこのチームのカラーは永遠にオレンジ

*2:何だベアではない

*3:ちなみに私はセ・リーグでは広島東洋カープファン