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それで私はMacを使うことにしたのだ

漢字の白川静氏死去 96歳、字書3部作を完成
中国新聞 スポットニュース)

漢字研究の第一人者として知られ、文化勲章を受章した立命館大名誉教授の白川静(しらかわ・しずか)氏が十月三十日午前三時四十五分、多臓器不全のため京都市の病院で死去した。九十六歳。福井市出身。一日、近親者だけで葬儀を営んだ。お別れの会を開くが日取りなどは未定。


大阪の法律事務所に住み込みで働きながら夜間学校に通い、立命館中学教諭をしながら立命館大法文学部漢文学科へ。初期漢字資料の甲骨文や金文を解読、研究した。予科教授などを経て一九五四年に立命館大教授。


漢字の成り立ちを考証した「字統」、原義と訓読みの対応を探った「字訓」、漢字文化の成立と歴史を視野に入れた「字通」の字書三部作を完成させ「白川漢字学」を集大成した。中国の古典「詩経」と万葉集の比較研究でも知られる。


昨年五月、印税五千万円を寄付し立命館大に「白川静記念東洋文字文化研究所」を設立し名誉研究所長に就任。漢字の新体系をつくる研究を進め、最近まで午前中は自宅で執筆していたという。


菊池寛賞、朝日賞など受賞多数。九八年に文化功労者、二〇〇四年に文化勲章を受章。「金文通釈」「説文新義」「稿本詩経研究」「漢字」「孔子伝」など多数の著書がある。


最近友人等々と意見交換をしていて思うことですが、漢字が読めない人が実に増えているのですね*1。都内の区立中学図書室につとめる友人は、漢字が多いから、という理由で数多の良書を子供たちに紹介できなくて困っているそうですし、もともと話し言葉に漢語含有率の高い私も、このごろ言い換えを余儀なくされることが非常に多い。それもこれも小中学校において教授される常用漢字数が減ってきているから、らしいのですが、これって新仮名遣い導入ぐらい衝撃的なことだと思いませんか。漢字を失った我々は、言語上、過去と分断されてしまうのです。


わたし、漢字はミクロコスモスだと思うのです。形を見れば意味がわかり、読み方も様々で、なにより組み合わせの妙がある。文字のない言語はあっても音声のない言語は少なくとも自然言語にはないのですが、漢字という文字の出現は、文字の役割を単なる音声表記のための記号から人間の思考の基盤へと変貌させた人類史上の一大事件であったと考えるのです。


腰を据えて取り組めば、漢字の世界は非常に面白く、奥が深い。そこらの薄っぺらい教養を身につけることに躍起になるくらいならばまず常用漢字程度の漢字を自由に使えるようにした方が、よっぽど効率がよいのです。


よく、漢字は習得が難しい、と言いますが、それは上に述べたように漢字が思考の基盤としての役割も担っているからであって、ひらがなカタカナやabcとはその一点において比べものにならないのですね*2。難しくて当たり前です。面白いことに、漢字を読めるようになるためにはまずそれを書いて覚えなければなりません。


齢90を過ぎてなお漢字の筆記*3を続けていたのが、亡くなった白川静先生です。こちらの記事で取り上げたように、手を動かして書くことで先生は前人未踏の著作をいくつもものし、亡くなるまで現役でご活躍されました。主義主張からではなく、純粋に漢字に魅せられたからこそのご活躍でした。美しい国がどうのこうの、と声高に叫ぶより前にその精緻で美麗な世界に耽溺してしまう。それこそが文化の力、要諦である、と示してくれた先生の死を謹んで悼みます。


合掌

*1:勿論、衒学的に漢字を弄んで喜ぶのは決して褒められた態度ではないが、堂々と「いやあ、漢字は苦手で」というのは、それを補ってあまりある知識や能力の持ち主にのみ認められる言辞であって、何もできない、何もしようとしないことの言い訳にはならない:「衒学」「弄んで」がパッと読めず、「言辞」がピンと来なかった諸兄姉よ、今からでも遅くはないから漢字を学びましょう

*2:だからといってこのことは、abcの類を使って表記する英語をはじめとする諸外国語を軽視してよい理由には決してならない

*3:小学校でやらせるような書取ではなく:もっとも最近では、「受験に出る漢字」などというばかげた概念が幅をきかせるようですが