慰霊

人権なんてない機械なのかもしれない

来る2006年10月25日に、さる追悼式が行われます。追悼式では代表一人が追悼の辞を読み上げ、男子10名女子10名の献花代表が祭壇に花を捧げます。学年の約5分の1が前へ出るわけです。実習を行ったものには、等しく参加の義務と権利があります。今日は式次第の説明と代表を決める話し合いがありました。


まず追悼の辞を読むものが選出され、彼を中心に献花代表を選ぶことになりました。


立候補を募りましたが、手は挙がりません。
予想の範囲内です。


推薦を募りましたが、やはり手は挙がりません。
予想の範囲内です。


仕方ないので、選出されたものが次の人を指名することにしました。実習を行ったものには、等しく参加の義務と権利があるからです。


ここで、薄ら笑いを浮かべながら教室を小走りに出て行くものが2人おりました。
予想外だ。


その後すぐ、出て行った二人を献花代表に選出する拍手が起こりました。
予想の範囲内です。


しかしやはりおかしいという意見があり、結局その二人は代表から外されました。何がおかしいか。欠席裁判が良くないのではありません。一般的に欠席裁判が行われると罰が与えられるわけですが、

  • 献花代表は罰であるか?
    • 否。
  • 権利と義務を放棄するような人間に、追悼・慰霊という大役が務まるか?
    • 否。
  • 薄ら笑いを浮かべて逃げるような人間を代表として重責を託すのか?
    • 否。


そういう理由で、二人は外されたのです。まあ、この国に暮らしているとよく出会うシチュエーションですね。やらずぶったくりというか、尻まくって逃げたもの勝ち、というか。



 恥を知れ (大妻コタカ)*1



ごちゃごちゃ言うのはここで止しとしますが、自らの責任でこういった人間に制裁を加えることは決して非人道的なことではないと私は思う、とだけ申し上げておきます。3人いればそこは社会。社会的常識に基づく社会的制裁は、当然のようにそこに存在するべきであると。


「多数の意見」もはじめは一人の夢想に過ぎないことがよくあります。数だけを力にしてしまうのは恐ろしいことじゃあありませんか、まったく。いや、ホントに。

*1:こちらによると、本当は他人に言うべき言葉ではないらしい