雄弁

寝坊した人は私だけじゃなかったようで、有機化学の授業は午後1時から始まった。よかった。で、有機化学の解答(このテストは最初に指定された30題の中から5題出題されるという形式)についての解説を受け、二・三質問などをしてからやることがなくなってしまった。


テスト期間中にやることがなくなってしまうなんて贅沢、あるいは何かやることを忘れているだけに決まっているので、昨日やりきれなかった物理の過去問+授業中にやった問題を解くことにしたら、みんなが集まって来て結局は電磁気学問題演習の様相を呈することになってしまった次第であった。


で、解き始めたのはいいが


それは昨日言ったじゃん!


という場面で質問多く、話の腰がおれる。昨日のおさらいのときにもいないのに途中で入ってきて


どこが出ますか?


などという愚問をかます輩は別として(私は出題者ではないので当然答えられない)、昨日言ったことを覚えていない、という事態についてはこちらにも非があるので、ちょっと意気消沈してしまった。教えるって、やっぱり難しいなあ。特に、昨日の授業はたぶん今までで最高の人数(40人程度いた:普段教授がやってる本物の授業よりも出席者は多い)に教えているので、慣れていないというのもあったろう。そして私は物理学専攻だったことはない(中国語→英語教育→医学)ので、質問が来ても何ともいえず答えられないというのも理由の一つであろう。


でもさ、でもさ、でもだよ。


もうちょっと聞いててくれたっていいじゃないか、復習してくれたっていいじゃないか、とも思いたくなるのである。昔から私は同じ人に同じ話を2回するのはあまり好きじゃないのだ。


あと、関係ないようでいて関係ありそうなのが、みなさん口を開かず音を出さず黙々と勉強するということ。これにはびっくりした。声に出さなきゃ覚えられるわけがないじゃないか。大学で発達心理学をやったとき、人間は考える時には必ず言葉を使っているので、その証拠として音は出ていなくても喉の筋肉は微小な運動をしている(これを内言運動という)、と習ったものだが。驚くことに、外国語のテスト対策とて例外ではない。黙々とテキストや単語をノートに写している人たちの多いこと多いこと。そんな行為はこちらから見れば単なる時間の無駄に過ぎないのだが、どうやら発音が難しいからといって口に出すのをはばかっているようである。発音なんかネイティブレベルになるわけないんだから、弁別がつく程度でいいじゃないか、と言ってみても断固として肯んじない。中国語を使って中国でバリバリと仕事&学問にいそしんでいる我が学友たちの中で私より発音がよい者はいないぞ(みんな無気音を有声音で発音してしまう→これは中共の中国語ローマ字化政策の哀れなる末路)。でも今となっては、彼女たち(前の学校は女子が多かった)の中国語能力に私は逆立ちしてもかなわない。発音が悪くても上達はするのだ。


黙って勉強するのは、手を動かさないで勉強するのと同じぐらい無駄なことだと思う。勉強は黙ってやるものだ、と小学校かなにかで教えているんだったっけ?何かそんな気がする。だとしたら、全くのナンセンスである。勉強=コミュニケーションだろうに。


雄弁は金だ、と声をあげて言おう。